自己責任で片づけてはいけない その2

障がい者も、貧困家庭で育った人も、勉強が苦手な人も、商売が下手な人もお金を稼げないのは自己責任だ、努力が足りないからだと片づけてしまって良いのでしょうか? 

パラリンピックでは障がい者同士で、ある程度ハンディを揃えた環境で競技を行っています。貧困家庭で育つと、親の教養が少ないことや、教育にかけられるお金が少ないことで、知識や知能の発達において遅れがでることは明らかです。

また、以前のブログでも触れましたが、勉強のできるできないは6~7割は遺伝で決まることが行動遺伝学の研究で示されており、学歴偏重社会の現代では、勉強のできるできないが収入の多い少ないに結びついてしまっています。

生まれた時にすでにハンディがあるにも関わらず、同じ土俵で競わせておいて、貧困は自己責任だと言う社会は、障がい者にハンディキャップを与えずに健常者と競争をさせているようなものです。

しかもオリンピック競技なら負けても死に直結することはありませんが、実社会での競争では、負けると飢えて死んでしまったり、悲観、絶望といった負の感情の蓄積により自死を選んでしまうことすら現実に起こってしまっています。

多様な人が人間社会という枠組みの中で何かしらの影響や協力の仕合いで生きているのが、現代社会です。

物事に得手不得手があるのは当たり前です。
絵が上手な人、物語を作るのが上手な人、工芸品など手仕事の上手な人、自然観察眼に優れた人、物事の道理に関心が高く探求心がある人、共感能力が高く人に優しく接せられる人、身体能力が高くスポーツなどで人に感動を与えられる人、コツコツと単純作業を繰り返せる人、色んな人が生きています。

多様な人がそれぞれの特長を活かして、周りの人の生活に貢献することこそが人間社会ではとても大切だと思うのです。

アヒル

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