小山さんの料理教室第11回

野菜本来のうまみを引き出すお料理と、陰陽思想を背景にした「重ね煮」という調理法でおなじみの、一昨年5月に惜しまれながら閉店をされた「野菜食堂こやま」の小山津希枝さんの料理教室を開催します。

料理内容
「砂糖と肉を使わない野菜の重ね煮料理」
旬の野菜を使い、可能な限り砂糖とお肉を使わず、体の免疫を上げ体調がよくなる料理を実際に作ってお昼ご飯に召し上がっていただきます。

 
講演会日時:2023年3月12日(日)
場  所 レンタルスペース旭 岡山市北区足守1155
料理教室 11:00~14:00
参 加 費:4000円(税込み)
定員:10名
お問い合わせ・お申し込みはこちらまで
お申し込みの方はお問い合わせフォームの必須事項を記入して頂きメッセージ欄に「小山さんの料理教室に参加します。」とお書きの上、ご住所、電話番号、参加人数をご記入いただいて送信ボタンをクリックしてください。

小山さんの料理教室第10回

野菜本来のうまみを引き出すお料理と、陰陽思想を背景にした「重ね煮」という調理法でおなじみの、一昨年5月に惜しまれながら閉店をされた「野菜食堂こやま」の小山津希枝さんの料理教室を開催します。

料理内容
「砂糖と肉を使わない野菜の重ね煮料理」
旬の野菜を使い、可能な限り砂糖とお肉を使わず、体の免疫を上げ体調がよくなる料理を実際に作ってお昼ご飯に召し上がっていただきます。

 
講演会日時:2023年2月12日(日)
場  所 レンタルスペース旭 岡山市北区足守1155
料理教室 11:00~14:00
参 加 費:4000円(税込み)
定員:10名
お問い合わせ・お申し込みはこちらまで
お申し込みの方はお問い合わせフォームの必須事項を記入して頂きメッセージ欄に「小山さんの料理教室に参加します。」とお書きの上、ご住所、電話番号、参加人数をご記入いただいて送信ボタンをクリックしてください。

小山さんの料理教室第9回

野菜本来のうまみを引き出すお料理と、陰陽思想を背景にした「重ね煮」という調理法でおなじみの、昨年5月に惜しまれながら閉店をされた「野菜食堂こやま」の小山津希枝さんの料理教室を開催します。

料理内容
「砂糖と肉を使わない野菜の重ね煮料理」
旬の野菜を使い、可能な限り砂糖とお肉を使わず、体の免疫を上げ体調がよくなる料理を実際に作ってお昼ご飯に召し上がっていただきます。

 
講演会日時:2023年1月29日(日)
場  所 レンタルスペース旭 岡山市北区足守1155
料理教室 11:00~14:00
参 加 費:4000円(税込み)
定員:10名
お問い合わせ・お申し込みはこちらまで
お申し込みの方はお問い合わせフォームの必須事項を記入して頂きメッセージ欄に「小山さんの料理教室に参加します。」とお書きの上、ご住所、電話番号、参加人数をご記入いただいて送信ボタンをクリックしてください。

小山さんの料理教室第8回

野菜本来のうまみを引き出すお料理と、陰陽思想を背景にした「重ね煮」という調理法でおなじみの、昨年5月に惜しまれながら閉店をされた「野菜食堂こやま」の小山津希枝さんの料理教室を開催します。

料理内容
「砂糖と肉を使わない野菜の重ね煮料理」
旬の野菜を使い、可能な限り砂糖とお肉を使わず、体の免疫を上げ体調がよくなる料理を実際に作ってお昼ご飯に召し上がっていただきます。

 
講演会日時:2022年12月18日(日)
場  所 レンタルスペース旭 岡山市北区足守1155
料理教室 10:00AM~13:00AM
参 加 費:4000円(税込み)
定員:10名
お問い合わせ・お申し込みはこちらまで
お申し込みの方はお問い合わせフォームの必須事項を記入して頂きメッセージ欄に「小山さんの料理教室に参加します。」とお書きの上、ご住所、電話番号、参加人数をご記入いただいて送信ボタンをクリックしてください。

小山さんの料理教室第6回

野菜本来のうまみを引き出すお料理と、陰陽思想を背景にした「重ね煮」という調理法でおなじみの、昨年5月に惜しまれながら閉店をされた「野菜食堂こやま」の小山津希枝さんの料理教室を開催します。

料理内容
「砂糖と肉を使わない野菜の重ね煮料理」
旬の野菜を使い、可能な限り砂糖とお肉を使わず、体の免疫を上げ体調がよくなる料理を実際に作ってお昼ご飯に召し上がっていただきます。

 
講演会日時:2022年11月13日(日)
場  所 レンタルスペース旭 岡山市北区足守1155
料理教室 10:00AM~13:00AM
参 加 費:4000円(税込み)
定員:10名
お問い合わせ・お申し込みはこちらまで
お申し込みの方はお問い合わせフォームの必須事項を記入して頂きメッセージ欄に「小山さんの料理教室に参加します。」とお書きの上、ご住所、電話番号、参加人数をご記入いただいて送信ボタンをクリックしてください。

小山さんの料理教室第5回

野菜本来のうまみを引き出すお料理と、陰陽思想を背景にした「重ね煮」という調理法でおなじみの、昨年5月に惜しまれながら閉店をされた「野菜食堂こやま」の小山津希枝さんの料理教室を開催します。

料理内容
「砂糖と肉を使わない野菜の重ね煮料理」
旬の野菜を使い、可能な限り砂糖とお肉を使わず、体の免疫を上げ体調がよくなる料理を実際に作ってお昼ご飯に召し上がっていただきます。

 
講演会日時:2022年10月23日(日)
場  所 レンタルスペース旭 岡山市北区足守1155
料理教室 10:00AM~13:00AM
参 加 費:4000円(税込み)
定員:10名
お問い合わせ・お申し込みはこちらまで
お申し込みの方はお問い合わせフォームの必須事項を記入して頂きメッセージ欄に「小山さんの料理教室に参加します。」とお書きの上、ご住所、電話番号、参加人数をご記入いただいて送信ボタンをクリックしてください。

自己責任で片づけてはいけない その3

勿論、みんながみんな特長を活かして他者に貢献することは難しいことです。

中には表面上、何の貢献もできていない人がいるかも知れません。そもそも他者への貢献というのはどんな形で成し遂げられるものかは予め分かりません。良かれと思ってやったことが、ある人にとっては迷惑であったり、人を不幸にしてしまうこともあるのと思います。

中国の砂漠に木を植えるという良い活動も、木の選定を誤ったために、逆に地下水を枯らしてしまい、砂漠化が進行してしまったということもあるのです。また、誰しもが知っている有名な画家のゴッホが生きている間は、それこそ表面上何の価値も生み出しておらず、彼の生涯で売れた絵は1000円程度だったそうです。今で言う生産性のない人間ということになりますが、彼の死後、多くの人に評価され、今は1枚100億の値がつくこともあります。

有名な哲学者のニーチェも彼の集大成である著書「ツァラトゥストラ」4部作はほとんど売れず、最後の4部目はあまりにも売れなかったために、ニーチェ自身が「どうかもらってくれ」と配り歩いたほどですが、彼も死後に評価され、今はニーチェという名前を知らない人はいないでしょう。人間の価値をお金で評価するということの無意味さをよく示している例です。

アリやハチの社会でも、働かない個体が一定数います。生産性のない個体を自然界は許容しています。
なぜかというと常に働いてしまう働きバチだけだと、不測な事態で働きハチが働けなくなった時、集団として欠かせない働きを維持することができずに、その集団は絶滅してしまいます。そんな時、働いていなかったハチが一定数いれば、代わりに働くことで集団を存続させることができるのです。

日本でも、東日本大震災の時に、ボランティアとして多くのニートやフリーターが活躍したそうですが、みんなが常に定職を持って余裕なく働いていれば、不測の事態に社会を維持することが難しいということを表しています。

「弱き人を助けることは、強く生まれた者の責務です。責任を持って果たさなければならない使命なのです。」

これは今、映画化され歴代興行収入1位になることが確実視されるほどの大人気漫画「鬼滅の刃」に登場するキャラクター「煉獄杏寿郎」の母が生前に幼き杏寿郎に語った言葉です。

杏寿郎はこの言葉を心に刻み、自らを鍛えぬき、真っ直ぐに生きます。そして人間の欲望に根差した鬼からの誘惑を歯牙にもかけず、弱き人を助けるために文字通りその使命を全うします。その生き様は魂を揺さぶられるほどに尊くカッコいいのです。

映画の大ヒットは鬼と戦う煉獄杏寿郎や主人公たちの生きる姿のカッコ良さに人々が憧れを抱いた結果でしょう。

複雑に絡み合ったこの世界において、短い時間軸の中でしか生きられない私たちが人の価値を推し測ることなど不可能であり、学力やお金を稼ぐ能力といったモノサシで、人間の優劣を決めることは愚かなことでしょう。

だからこそ、自己責任の言葉の下、弱者を切り捨てる強者の姿勢は、人間として恥ずべきものです。煉獄杏寿郎とは真逆の価値観であり、すなわち鬼側の価値観だと言えます。

今、社会的に強い立場なのであれば、弱き者を助けることは責務であり、責任を持って果たさなければならない使命なのです。

自己責任で片づけてはいけない その2

障がい者も、貧困家庭で育った人も、勉強が苦手な人も、商売が下手な人もお金を稼げないのは自己責任だ、努力が足りないからだと片づけてしまって良いのでしょうか?

パラリンピックでは障がい者同士で、ある程度ハンディを揃えた環境で競技を行っています。貧困家庭で育つと、親の教養が少ないことや、教育にかけられるお金が少ないことで、知識や知能の発達において遅れがでることは明らかです。

また、以前のブログでも触れましたが、勉強のできるできないは6~7割は遺伝で決まることが行動遺伝学の研究で示されており、学歴偏重社会の現代では、勉強のできるできないが収入の多い少ないに結びついてしまっています。

生まれた時にすでにハンディがあるにも関わらず、同じ土俵で競わせておいて、貧困は自己責任だと言う社会は、障がい者にハンディキャップを与えずに健常者と競争をさせているようなものです。

しかもオリンピック競技なら負けても死に直結することはありませんが、実社会での競争では、負けると飢えて死んでしまったり、悲観、絶望といった負の感情の蓄積により自死を選んでしまうことすら現実に起こってしまっています。

多様な人が人間社会という枠組みの中で何かしらの影響や協力の仕合いで生きているのが、現代社会です。

物事に得手不得手があるのは当たり前です。
絵が上手な人、物語を作るのが上手な人、工芸品など手仕事の上手な人、自然観察眼に優れた人、物事の道理に関心が高く探求心がある人、共感能力が高く人に優しく接せられる人、身体能力が高くスポーツなどで人に感動を与えられる人、コツコツと単純作業を繰り返せる人、色んな人が生きています。

多様な人がそれぞれの特長を活かして、周りの人の生活に貢献することこそが人間社会ではとても大切だと思うのです。

アヒル

自己責任で片づけてはいけない その1

人の物を盗むのは悪いことです。しかし、食べるものがなくて死にそうな子供がいたとして、生きるために食べ物を盗んだ子供を責めることは果たして正しいことなのでしょうか。

食べるものがないほどの貧困に陥った子供がいるにも関わらず、毎日豪遊している資産家がいることの方が社会として健全ではないと思うのです。

盗みをすることは悪いことです。なぜ悪いことなのか?盗んではいけないというルールがあるからでしょうか?そうではなくて、盗まれた人が嫌な気持ちになるとか、困るとか、そういうことではないでしょうか。

もし、どうしてもお腹が空いていて、分けて欲しいとお願いされたら、快く分けてあげるでしょう。もらった人も感謝の気持ちで「ありがとう」と言えるし、分けてあげた人も感謝されて、うれしい気持ちになるでしょう。それを黙って盗んでしまえば、そういった正の感情が生まれず、相手を非難するとか罪悪感といった負の感情が生まれてしまいます。

だから、社会のルールとして、盗みはやってはいけないことになっていたのだと思うのです。その認識が今は変わってしまっているのではないでしょうか。「ルールだから盗みはしてはいけない」という認識だとすれば「ばれなければやっていい」という考えも生まれてしまいます。

富の偏りや格差により子供が盗みをせざるを得ない環境であるとか、子供が「盗みをしてもばれなければいい」と思ってしまっている環境を生み出している社会全体に問題があると思います。

弱者を助けない社会はあなたが生きづらい社会です

困っている人を助けることが、あなたの生きる力を生みます。なぜなら、他者との信頼関係が生まれ、仲間が増えるからです。

知識は人類が長い年月をかけて積み上げてきた共有物です。
本当のインテリは社会インフラによって習得したその知識をもって、社会に恩返しをするのが当たり前だという感覚が昔はあったのだと思います。

インテリが私利私欲のためだけにその知識を使うことは恥ずべきことで、浅ましいという感覚さえありました。
しかし、新自由主義のイデオロギーに染まりつつある日本社会は、自称インテリが平気で自己責任論を言い放ちます。そんな人はインテリなんかではありません。

突然の事故で誰しも障がいをもつ可能性があり、弱者を助けない社会は誰にとっても生きづらい社会です。

子どもはしっかりとその鋭敏な本能的感覚で大人がつくる生きづらい社会を見ています。

若者の死因の第1位が自殺です。他者が仲間ではなく競争相手だと思わされ、困った時に助けてくれる存在が乏しく、強くなければ生きていけないこの社会は、生まれてこなければよかったとさえ思ってしまう残酷な社会です。

そんな残酷な社会を変えたいという想いから、立ち上がったある政治運動をドキュメンタリー映画にした作品があります。「れいわ一揆」です。

その主演者である重度障がい者の木村英子さんがコメントを読んでこのブログを書いています。

https://youtu.be/Yg5e6fcFsO少し前に以下のyoutubeで聞いた木村英子さんの自分の子供とのエピソードが今の社会を物語っています。

大きな車いすに乗っている自分のことを格好いいと言ってくれていた子供が小学校に入ったとたんに「お母さん、恥ずかしくないの?」と聞いてきたそうです。

障がい者は恥ずかしい存在だと思わされてしまうのが今の日本社会なのです。
重度障がい者にも関わらず国会議員になって訴えないといけない社会は本当に生きづらい社会なのだと思います。

この映画は一部の大都市の小さなシアターでしか上映されていないのですが、生きづらい社会を脱するきっかけになると思います。

足守にはももぞの学園という障がい者施設があります。

障がい者でも分断されることなく、共に生活し、自分ができる範囲で誰かのために生きることができる、やさしい社会を実現するためにも、足守でいつの日かぜひとも上映したいと思います。